とどのつまり

とどがとろ(吐露)する場です

ムジュラの仮面理論。

自分のアタマの中を言語化しようキャンペーン第一段。

 一番最初はこれです。

ムジュラの仮面理論』

 

正直な話、はぁ?と思うと思いますがしばしお付き合いを。

 

※なおこれは僕の主観・妄想100%なので、出てくるモノは『例え』としてお楽しみください。

 

 

『人によって対応を変えたり、自分を賢く見せたり、同じ境遇の人間だと思わせたり(もちろん同じ境遇ってこともある。)、そんなこともついついしちゃうよね。

だって人間だも......

でもそれって全てが「 悪 」じゃないよね!!』

  

っていう実体験(意味深)のもと

 

『人は誰しも皆に同じ顔を見せているわけじゃない。』

と実感しました。

 

人によって対応を変え、顔や雰囲気を作って接することを比喩で『仮面』と表現されたりします。

経験則ですが、この表現はどちらかと言えば悪い表現のように使われることが多いような気がします..

 

しかし、僕自身は「その仮面が良い使われ方をしているならそれで良い!」と思っちゃう系男子なんです。

 

そんな時に思い出したのが

ニンテンドー64の「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面

3DSでリメイクされて発売されたことでも記憶にある人もいるのでは...

(ストーリーはグーグル先生に聞けば、いくらでも出るので割愛...)

 

僕がこのゲームを通して『これはヤバイ。』と思ったのは

「仮面」を主人公のリンクがかぶると色々と起きちゃうんです。

 

仮面をかぶることで話せない種族と話せるようになったり、扱える武器が増えたり、

さらに仮面を集める面白さもあります。

 

しかも仮面を被っているリンクはリンクなんです!(←これ重要)

要するに仮面を被ろうが主人公は主人公のままなんです!!(ゲームでも主人公のリンクの雰囲気は残したまま変身するんです。) 

 

仮面を被ろうが主人公は主人公のまま。

超大事だと思います。

 

 

現実世界に戻って考えると、

 人によって対応を変えたり、自分を賢く見せたり、同じ境遇の人間だと思わせたり(もちろん同じ境遇ってこともある。)、そんなこともついついしちゃうよね。

っていうことも言わば仮面集めて、その場に応じた仮面をかぶることと同じだとおもったり。

 

この考えの根幹としては仮面をかぶることが悪ではなく良いのでは...

さらに仮面を持ち合わせていれば持ち合わせるほど面白い人間になれるんじゃないかと僕は思うんです。

 

仮面をつけていない自分も

仮面をつけている自分も全部が自分自身なのです。

 

そのくらいの寛容さでちょうどいいと思います。

 

とりあえず僕はもっと仮面を増やして面白い人になろーっと。

 

ps.言葉足らずで分かりづらいかもしれないけど

そんな時も「仮面」を被って大目に見てやってください。